摩利支天

当山は日本三大摩利支天のひとつとして、江戸時代から下谷広小路(現、上野広小路)において、聖徳太子の御作と伝わる摩利支天像をお祀りしております。
摩利支天(マリシは「威光・陽炎」の意)とは、仏教を守護する天部の神で、参詣祈願の人々に「気力・体力・財力」を与え、「厄を除き、福を招き、運を開く」、諸天善神中もっとも霊験顕著な守護神であると伝えられております。そのお姿が猪の背に立つことから、古くより十二支の亥の日がご縁日とされてきました。

人が摩利支天の名を知り念ずれば、一切の災厄から逃れ勝利の功徳を得るとして、我が国においては中世以降、武士階級の守護神として摩利支天への信仰が広まりました。楠木正成や足利尊氏、毛利元就や徳川家康などの武将たちは、摩利支天の尊像や旗印と共に合戦に出陣したと云われ、『忠臣蔵』で知られる大石内蔵助も髷の中に摩利支天の小像を入れて討ち入りに臨み、本懐成就を遂げたと伝えられております。まさに、諸難を退け勝利に導く、武門の護り厚き守護神として、町人文化が栄えた江戸時代中期以降には、民衆の間にも摩利支天信仰が盛んとなりました。

昨今では、「開運厄除・除災得幸」のご祈願はもとより、「家内安全・商売繁盛」などのご祈願、政治・芸能・スポーツに関わる方々の「必勝・心願成就」のご祈願など、我が身をお守りくださる「上野広小路の摩利支天さま」として、広く全国からの尊崇を集め、皆様よりご参詣いただき親しまれております。

開運大摩利支尊天像
聖徳太子の御手彫と伝わる摩利支天像。宝永5年(1708)に当山へ安置されて以来、
幾度の災厄を切り抜け、今日も全国からの尊崇を集めています。